伝説をつくるもの

 雪舟展を京都国立博物館に観に行ってきました。何々伝説と名しているこの手の展覧会は、得てして当事者の作品が集められずに周辺の作品で構成されていることで落胆することこともあるのですが、本展覧会は、6点の国宝すべてを配置した3階フロアが夢のような贅沢な空間となっており、しょっぱなから強力なストレートパンチを食らうしびれる体験ができます。6点は通期展示だそうで、冒頭の挨拶文内にも、今展覧会に貸し出しをしてくれた方々への御礼が記されていることに学芸員の意気込みを感じることができます。

 

雪舟伝説「画聖の誕生」 @京都国立博物館 

 

 こんなにも小さな画面だったのかと戸惑いを覚え、修復をしているとはいえ美しい支持体や描画素材の色に感嘆し、画面構成の凄さに圧倒されます。

 しかし、この展覧会の狙いはその雪舟がどのように伝説をなっていったかにあり、以降のフロアに集められた、その証明となる後進たちの数多の作品の質の高さにも驚かされるのです。

 等伯、探幽、山雪、江漢、若冲蕭白光琳、、、と、彼らも私が本日最初で食らったパンチのようにとにかく初見でびっくりしたことでしょう。よくよく見るとそんなに上手ではなさそうに思えるのですが、そんなことは些末なことであり、技術を超えてまで訴えかけてくる色遣いや構図があるのだと思うのです。それは、今回は雪舟の信仰的な面があまり取り上げられていなかったのですが、彼の生き様がにじみ出ているのではないかと思うのです。

 私は雪舟は絵だけを追い求めた聖人ではなく、天才的な技術も持ち合わせていないために中央から追われて、その挫折を自分外の装飾で補おうとする、実に凡人的な俗人であったと思うのです。しかし先述した後進たちは実に天才であり、自分には持ち合わせられない、人間的な力強さ、それは欲にまみれた向上心な側面から表出してくる美に憧れたと思うのです。ピカソがルソーに心を動かされたことのようなものでしょうか。

 だから、今回の雪舟作の作品であっても、何でこんなに構図がおかしいのだろう、何でこんな線を引く途中で勢いが止まているのだろう、そういった点が目につくのですが、初見した時すでに全体の「美」に心を奪われていますから、そんなことはどうでもいいように思えるのです。

 2階でのワークショップは、展覧会を見てから参加されるとより理解が深まります。

ワークショップのシート

 

 彼らは雪舟に出会い、どのように自分の制作に落とし込んでいったのかも考えながら作品を観ていくと実に楽しい。

 私はこれまで知らなかった原在中という画家がとても気に入りました。

 そしてあえて言いますと、彼らが決して体験できなかった雪舟のほぼ全作品をこの目で見ることのできる贅沢さは、なかなかできない体験です。

 

 

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