刻みつくるもの

 安藤榮作さんの木彫の実物を見たくなって、奈良での個展に訪れました。

 安藤さんとは面識はないのですが、ふとSNSで目にした木彫作品に興味を持ち、また東日本大震災で被災されそれから奈良に転居されて彫り続けられておられるとのことでしたので、そのお話も伺えたらという思いもあったのです。今の私はいろんな作り手の方の日常での制作状況のお話を聞いてみたいと思っています

安藤榮展 ~宇宙の果実たち~ @ギャラリー勇斎

 それでも、奈良までは少し遠出なのでちょっとためらっていたのですが、それを超える自己の内の渇望に動かされて訪れました。結果として、お話は一切聞けなかったのですが(作家さんは在廊されておりました)、それは作品群に声(言葉)を失ったからです。

 

 

 失礼ながらSNSでの画像を見ているときはそんなにも良い形ではないなぁと思っていたので、今回の訪問理由はどちらかというと先述したように制作の秘訣を知りたい思いの方が勝っていたのですが、いざ目の前に実物と対峙すると、その場でしかない存在に重みを感じたのです。

 

 それは、平面的な画像からは決して伝わらない奥行きなのでしょう、光のあてかたにも工夫をしているのだと思いますが、じっくりと見入ってしまいます。制作は鑿を使わず、大小の鉈で刻んでいくそうです。

 


 

 手のような果実をよく見てみると、表面に小さな刻みがいっぱいついていて、それは決して痛々しい感じではなくとても優しい印象を与えてくれています。

 

 

 聞くと、彫刻刀で入れているのではなく、特注の小さな鉈を振り落として目指すべき形状を生み出しているのだとお聞きして、なるほどそれが傷をイメージするのはなく、不思議と大らかさを表現できているのだと思いました。

 

そして、何度も言うように、そんなに洗練された形ではないのに、ものとしての意味がしっかりと表されているのではないか、それはC.ブランクーシのような姿だとも思いました。

 

ご自分の生み出されたものが、まるで自分とは関係のない宇宙の彼方から降りてきたもののように、愛おしく撮影されているお姿を拝見していると、氏の背景のことをお聞きすることが空虚なもののような気がしてきて、実物に出会えてよかったです、とだけをお伝えし、会場をあとにしました。

 

安藤榮作 | ギャラリー勇斎