「がめんをつくる」 不染鉄展 @奈良県立美術館

 

 遠くない昔に開催されていたと思うのに再び企画されるとは、根強い人気が後押ししているのだろう。かくゆう私も、忙しさで気分がすぐれないながらも無理をして駆けつけることにしたのは、彼の絵から言葉がほしかったからでしょうか。

 

 

 29年前の震災と同じような凍てつく朝、快晴のなかに白い月だけが浮かんでいる古都はより美しく、それだけで気持ちが落ち着きます。奈良の街に出向くと、流れている時間が穏やかに感じるので、この未開発な状態のまま続いてほしいと願います。不染鐵が描いた西ノ京も当時と変わらぬ光景が残っていて、彼のようにこの地で絵を描く生活に浸かりたいとも望みます。

 

奈良県立美術館

 

 それにしても、「山海図絵1925」は大傑作でしょう。これはレンブラントに匹敵する画力(あえてえぢからとしましょう)を醸し出している点で、画の中の画だと思うのです。

山海図絵1926

 「こうして描いているうちに実際の景色と地理のようなものにとらわれてきて、固苦しくなってきます。再び自由に空想から空想と歩き廻る事にしましょう。」鐵19421107

                                

 画面をどのように作るかは、構図をつくることとはまた違った感があると思います。彼の描写力の確かさは素描をみればわかりますが、彼しか成し得れない、画面のなかにモチーフを置く力や、線の長短や強弱、彩色の方法、どれをとっても絵を見ていて楽しいのではなく、その美しさが勇気をくれるのです。そこに言葉も添えられていて、内容の深さが時代を表し、時代を超えての人というものを考えさせてくれるのもたまりません。

 

雪之家1920頃

絵ハガキ
「どーせだめなら此の心持ちを淋しいのを心細いのを涙が出そうなのを画にかいてやろう。  
きれいでなくでも小さくても立派でなくても。淋しいんだから淋しい一人で眺める画を
かこうと思った。野心作だの大努力作よりも、小さな写実をかこう。」鐵19660110

 

 

ともしび
「そうだこの灯は母の心がうつっているのである。」鐵1964

 

吾愛夏日長1965

「今度私は画かきで初めて中学の校長に就任致しました。

             美術を重く考える中学にしたいと思います。」鐵19461016

想出之記(部分)
「画の事ですから実際より家は少なく、道は近くかきました。」鐵192701吉日

 

いちょう1967

塀 1965

 

本当に、多くの人がこの美しさと深さを目の前にしてほしいと願います。

 

館50周年記念 特別展

漂泊の画家 不染鉄 ~理想郷を求めて

2024年1月13日(土)~3月10日(日)

fuen_image

 不染鉄(ふせん・てつ 1891~1976)は、明治24年(1891)東京・小石川で生まれました。父親は浄土宗の僧侶でしたが、やがて絵描きを志すようになり、日本画家の山田敬中や日本美術院に学びます。その後一時は伊豆大島で漁師のような生活を送りますが、大正7年(1918)に京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)へ進学すると、在学中に帝展で初入選を果たし、同校を首席で卒業して以降も、画家として確かな足跡を残しました。
 しかし戦後は、奈良・正強高校(現・奈良大学附属高等学校)の校長として請われたのを機に同地に居住し、画壇とは距離を置きながら独自の道を歩みます。郷愁漂う村落風景にはじまり、悠然とたたずむ富士の眺望や神聖な古寺の景観、そして神秘に満ちた海の風景から幻想的な夜の情景へと、遍歴を重ね、深まりを見せるその画境には、過去の想い出とともに、静穏な日々の営みを慈しむ、不染の理想郷的世界が投影されています。
 当館ではこれまで、「純情の画家 不染鉄展」(1996年)、「幻の画家 不染鉄」(2017年)と2度にわたり回顧展を開催し、その心に滲み入るような作品は、時代や世代を超え、人々に深い感動を呼び起こしました。開館50周年を記念する本展では、再度の開催を待ち望む皆様からの声を受け、初期から晩年までの代表作約120件を展示し、不染作品の魅力を改めて顕彰しようというものです。(美術館公式HPより)