下地をつくる

 これまで幾度となく見ていたので食傷気味になっていましたが、新たな発見に驚くばかりです。

藤田嗣治展 ~心の旅路を探る~ 大山崎山荘美術館

 

 まず、展示された手紙を通じて、絵で人生を表した人でることに嫉妬します。自分の思いや考えを、言葉も多く用いながら視覚的に書き留めています。それは自分の愛を伝えるものでした。

 そして、多くの小さな小さなサイズに丁寧な下地を拵え、消えゆくような細線を染み込ませている作品群に惹かれてしまいます。それらはまた描かれたものに相応しい木額を手作りして収めています。これらもまた、自分が愛した人に贈ったものではないかと推測するのです。

 

 

 

 次に、大きな画面で、改めてフジタホワイトと呼ばれる下地の美しさに感嘆する。今回の展示の照明が今までとは違うのか、それとも、何かしらの修復作業を経たのか、飾られている乳白色の輝きが今まで見てきたものとは違う。表面に蝋で磨きをかけているのかもしれない。ただ、丁寧に丁寧に塗り重ねられた堅牢な壁のようなところに彼が描きたかったのだろうとの思いが伝わってくる。

そこに、一度染み込ませたら後戻りできない墨をこれまた静かにそっと添えている。ここの技術をつかむのが彼しかできない彼のオリジナリティであり、彼の作品を鑑賞する醍醐味だろうと思う。出来上がった当時は、もっと白く輝いていたに違いない。ピカソが藤田のアトリエの窓の隙間からその秘密を探ろうとしたエピソードも頷けます。

 

 

 

 

 そのうえで、たった1本の線だけで、とても肉体の豊かな感情を描き出しているのも、彼の技術の高さです。この乳房の表情を、臀部の重量感を、両肩の奥行きを、他の誰が出せるというのか・・・・?

 

 

 


 その画面も、彼の生き方も、太古の昔から変わらぬ眼下に広がる大河の流れのようだと思いました。

 

 

アサヒグループ大山崎山荘美術館