パンデミック前から京都の象牙屋さんを3度ほど訪れて、茶入れの牙蓋を作る職方さんのお話しを聞くことをしてきました。90歳になろうかという職方さんのお話は、作り手に多くの示唆に富んだ視点が与えてくださいますので、創作の輝きが胸の奥から漲ってくることを覚えます。お話しを聞いているうちに、いつの日かこの方にお仕事をお願いすることを夢見て、その後、幾つか茶入の作陶を試みることにしました。
形は自然な流れで、手づくねにより見えてきましたが、焼成には幾度も失敗を重ねて、ようやく、象牙蓋を作るに値するものを幾つか携えて、職方さんの元を再訪した次第です。
いつ来ても、このような素人であっても、職方さんは嫌な顔を少しも見せず、丁寧に優しくご対応をしてくださいます。多くの逸品を見てこられた方だけに、拙作を見ていただくことへの恥ずかしさもあったのですが、そのうちの一つに見本の蓋の一つを被せられて、「これはうつってますなあ。」と仰ってくれました。
「うつってるとは、どういった意味でしょうか、漢字ではどう書きますか?」とお尋ねすると、「そうですな、漢字ではどう表すかはわからないですが、うつるとは、似合ってる、という意味になりますかな。」と仰る。
蓋を取り付けられた私の壺を持ってしげしげと眺められるお姿をみて、ある意味ホッと胸を撫でおろし、思わず笑みがこぼれてしまいました。
職方のさんのお師匠さんである親父さんは、「蓋を付けたら茶入れ(作品)になる。なければただの物体や。」と言っておられたそうです・・・。
しかし、そこからが大変です。
蓋と言っても様々な形状をしていて、また、本体の大きさに相応しい口径や外径があり、また多くの見本蓋を入れ替わり立ち替わりし、相応しい姿を決めなければなりません。加えて「す」がはいるかどうかで景色も違います。
最終的に3つにまで絞り込むも、どれも長所があって迷います。一つは取っ手に向かって山型となっており、しっくりしと本体と馴染んでいます。また一つは中央取っ手に向かって落ち込んだ形をしており、加えて枠際にラインが1本惹かれていて、それだと厳格で重量感を感じさせる姿になります。他方同じ形状をしつつもラインが入っていないものは、ラインがあるものとは反対の印象を受ける、とても優しい表情を醸し出す姿をつくるのです。本当にこんなにも雰囲気が変わってしまうものかと驚くばかりです。
あとは決断だなあと悩んでいると、「そやから皆さんいくつもの蓋を持たれて、その茶会ごとに替えられて楽しまれているのです。」と仰いますが、小市民は一つだけで精一杯ですので、今の心境にあったものを決断し、出来上がりを楽しみにしてお店を後にしました。
よろしくお願いいたしますと、逆に深々と頭を下げられるお姿こそ、つくるひとの手本だと思いました。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
片岡象牙店
1887(明治20)年創業の茶入蓋専門店。今では稀少となった象牙のみを材料とし、各流祖の好みの蓋から数奇者の好み蓋などを手がけている、茶道会では非常によく知られた老舗です。茶入蓋のほかにも、茶杓や菓子切などといった茶道具の製作も行っています。手がけているのは、3代目主人の片岡信雄さん。ひとつひとつ形の異なる象牙を活かして客の好みに合わせた品を作るのはまさに職人仕事。材料の稀少さもさることながら、ご主人の仕事ぶりも今では稀で貴重なものと、各流派の茶人たちが厚い信頼を寄せています。
(婦人画報のHPより https://www.fujingaho.jp/culture/craft-tableware/a75868/kataokazougeten/)