見ることに徹してつくり出された抽象

 大阪中之島美術館に福田平八郎展を観に行きました。その昔子供の頃に父親から、福田の「鯉」の絵は水を描くことなく鯉のみを描いて水の中を表すことが出来ている、と教えて貰いました。また、「漣」を日本画の一つの到達点だとも言っており、半装飾的な風景画を描く父にとって目標とするものであったのではないかと思い出します。

 


 その「鯉」は今回見ることは出来ませんでしたが(別バージョンは展示されていました。)、「漣」はこの美術館の所蔵だけあってみることができ、また、その下図やアイディアスケッチ、また彩色の工夫などの資料も見ることができ勉強になりました。

 思い出の中では、綺麗な白地のなかに群青の線が心地よく描かれているとの記憶でしたが、福田は、金箔にプラチナ箔を重ねた地をつくっていると聞いて、そのような工夫をしていたのかと驚きました、しかしよく目を凝らして眺めてみても、確かに紙の白色ではないなと思えるものの、そのような仕掛けが施されているとは判らなかったです。

 

 

 昔は、もっとさわやかな雰囲気であったような気がするのですが、今回少しくすんで見えるのは、定かではありませんが、経年の影響かとも思いました。

 隣り合わせに展示をしているスケッチ類を見ると、単なる装飾的な自分よがりの線ではなく、しっかりと水面を観察して、とても写実的かつ必然的な線であることが確認できました。。。しかし、よく考えてみたら、水面では、漣の線の方が光に反射をしているわけですから、こちらをプラチナ箔で表し、空間を群青で表したいと思うのが普通ではないかと思ったわけです。凡人の私がそのように想像してみますと、とても良くない画面が頭に思い浮かびましたので、やはりこの方が美として成立しているのだと納得がいきました。

 このように、福田は、写実を極めながら、少しの装飾を組み入れることで、彼なりの画面構成を生み出しています。彼の絵の魅力はなんといってもゆるぎない構図だと思うのですが、細部は写実力に支えられていて、今展覧会では膨大な写生帖で示しながら、そのことを証明していました。

 

 

雪の表現も、、、、

 

桃が盆に映る姿も、、、、

 

極めつけは、青空に浮かぶ雲さえも、、、、

 

しっかりと現実を見つめて、貪欲に写しとろうとしたスケッチの上に存在していました。

 

「人間は凡人になるほど落ち着くようだ。俺(わし)らは、画にこそ多少は自信があっても、どだい凡人であることを、欣(よろこ)んでいる。」平八郎

 

 それら写生にあった和三盆を写生した絵があり、そのお菓子そのものをお土産に買うことが出来ました。

没後50年 福田平八郎 | 大阪中之島美術館