松本涼氏のつくるもの

 薄い儚さを表してみたいと思っていた矢先、松本涼氏の彫刻を知って、ああ私が作りたかったものをすでに生み出されていると愕然としました。それは羨望であり、口惜しさというより、熱烈なファンになっていって、いわゆる「推し」というものでしょう、もう5年以上も追っかけをしている状態です。今回の新作も、作家のインスタグラムを通して制作過程を見ていましたところ、その新作の造形がこれまた私の求めている「器の形」であったため、これはこの眼で見てみたいと、無理をして遠征をしました。

@ギャラリーせいほう

 

 実物には、やはり映像を通してでは伝わらない迫力がありました。松本氏の作品は薄ければ薄いほど、その存在の重みが増しています。つまり、単に薄くしただけでは表現されない存在感があるのです。その理由の一つは、作家が試行錯誤のなかで見つけ出された、表面に細溝を入れていく細工で生み出されています。

 

 

 一見すると、年輪をそのままなぞっているように思えますが、先述したように作家が苦しみの中から生み出した、敢て線を彫り込む(彫り出す)といった表現スタイルで、この表現の有る無しで、作品の質は大きく違っていると思うのです。

 そこには技術の確かさも必要だと思うのですが、作家自身は、自分は下手くそだからこそ、自分を見つけるために制作をしていると仰います。意外な言葉ですが、謙遜というものではない、もっと確かな意味での内省のなかで制作をされていることの証明であり、そこにも氏の作品の存在価値が高くある秘密があると思います。

 今回の新作も器の高台部分の形にその精神が表現されているのだと思いました。器の価値は高台で決まるといっても過言ではないでしょうね。

 

 旧作にも数点再会し、眼福な時間を過ごしました。

 

 また、今回は初めて作家さんにもお会いすることが出来、、大きな人生の転換期にある私に、思いがけず握手をしていただけたことは、大きな希望を頂いた次第です。とても感謝なことでした。

 

「邂逅」-探究の彼方で- 滝本セレクション展

@ギャラリーせいほう